階段を上りながらアイデンティティ
社会人になってからというものの昔から好きでよくお金を使っていた趣味にだんだんお金を使わなくなってきました。
単純に趣味に費やす時間の確保が難しくなったことと、まだ貯金が少ない今の状況で好きなことばかりにお金を使っていてもいいのだろうかと考え、財布の紐が固くなっているのです。
私の趣味はお金を使わなくても十分に楽しむことができるものではありますが、やはりお金をそのコンテンツに使い物欲を満たすことと、その業界への貢献という意味でもお金を使用していきたいとは考えています。頭の中では。
趣味への投資が圧倒的に少なくなった今思うことは、自分自身から趣味を取った時、私を私たらしめるものは一体なんなのだろうかということです。
趣味は私のアイデンティティの大部分を占めるものであり、私が私である事の証明のように感じています。
その私から趣味が取り払われたならば私に残るものは一体なんなのだろうかと考えてしまうわけです。
そう思うと今の趣味から少し離れている状況は私にとって深刻な状況なのではないだろうかと思った次第です。
この考えはマンションの階段を上がり体力の衰えを感じている時にふと頭に浮かんだのですが、まずは家でお茶を飲んで休憩しようと考えた私はまだそれほど深刻な状況ではないのかもしれません