烏龍茶を烏龍ハイだと言い続ける

会社の同期と飲みに行くことがたまにあります。普段はそこまで付き合いが深いというわけではないのですが時折ある合同の新入社員研修の後などはこのまま帰るのもなんですし飲みに行きましょうかという流れに自然となります。そういうものです。


この研修後の集まりを楽しみにしている人もいれば「まあ行っておいて損はないか」とその先の人間関係を考えて参加する人もいることと思います。


中には参加せずに帰宅という人もおり、「なぜ参加しないのか」と思う人もいるのでしょうがもちろん強制ではありませんのでそれはその人の自由ということです。



人間関係とは難しいものですね。




イギリスの社会学者ギデンズは近代化が進むにつれて地縁や血縁など伝統によって決定されるような対人関係が望まれなくなり、かわってそうした要素にとらわれずに人々の自由意志によって選択される関係性が重視されるようになっていくと述べました。


つまり友人関係も恋愛関係も付き合いたい人と自由に付き合う社会になるということです。

冒頭での例で言うと集まりに参加するもしないも自由ということですね。



何を当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれませんがそれほど近代以前では伝統によって人間関係が大きく左右されていたのでしょう。



付き合いたい人と自由に付き合う、これを「純粋な関係性」と呼ぶのですが、この純粋な関係性はその相手と居て「自分が満足できるか」というところが鍵になります。

つまり一旦成立した関係でもその関係性が自分にとって満足いくものでなくなった場合は関係を解消することがあるということです。



一見するとこれは「自分勝手」のようですが実はそこには自分の精神的満足を追求するだけでなく、他人の精神的満足感を尊重しているという面も含まれています。
ここがまさに人間関係の面白いところなわけです。



まとめると

伝統的関係性からの脱却
関係がそれ自体がもたらす満足感によって決定
満足感がなくなれば関係性は消失、変容
当事者自身が「満足しているか」どうかの検証が必要
お互いの精神的満足感の尊重へと繋がる






私は集まりには進んで参加するタイプです。







まあお酒弱いんですけどね