自我と自己

「君は普段怒ることはあるの?」


と先日上司に言われました。私は人よりも少しだけ怒りっぽい性格だと認識していましたが、他人から見ると私は温和そうに見えるのでしょうか。
常にニコニコしているわけでもありませんしどちらかというと怒りも表情に出やすい方だと思っていました


これはもしや自分が思う自分と他人から見られている自分のギャップは割と大きなものなのではないのかと思ったわけです


つまり
自分が考える自分=自我(アイデンティティ)と
他人を通しての自分=自己(パーソナリティ)
が大きく異なるということ


怒りっぽい自分=自我
穏和そうに見られている自分=自己


ここで思うのが穏和そうに見られているというその上司の中に存在する自分のイメージをできるだけ崩したくないなということ


しかし今後飲みに行ったりすると当然素の自分が少なからず出てくるわけですね


そこで普段良くしてくれている上司の中の自分のイメージを崩したくないため、自己を変えたくない
しかしそのために自我を曲げるのは違う気もします。


じゃあ自我を突き通して自己を曲げていくのかというとそれも違う気がします。


正直なところ上司の一言だけでなく今までのあらゆる人間関係の中で自我と自己のギャップを感じる瞬間が何度もありました


しかも、自分で言うのもなんですが自己はほとんどプラスのイメージでした
自分は人が思うほどできた人間でもありませんしそのように思ってくださることは大変嬉しく思うのですがその度に自我とのギャップに罪悪感を抱かずにはいられませんでした


自分は仲の良いコミュニティ以外では素を出せずに表面ばかり取り繕って生きているのではないのかと思うわけです


もっと自我を出していきたいという思いがあるにもかかわらず、自己変えるような言動もしたくない

そのバランスを取るのは大変難しいことなのだと思います


そのうちどちらが本当の自分なのか自分ですらわからなくなる時が来るとしたら恐怖で仕方ありません



ただ
人から好印象を持たれるということ




悪くないです