その積み重ねが法

ルール(rule)

規則。規定。きまり。「―に従う」「―を無視する」「―違反」



先日ラグビー日本代表が強豪南アフリカを破ったというニュースが多くのメディアで取り上げられ、日本中の目が今ラグビーに向けられています。



失礼ながら私はラグビーのルールを把握できておらず、試合を見ても何が良いプレーで何が悪質な反則なのか理解ができませんでした。


ラグビー  ルール」というように検索エンジンで知識を得ようとした人は私だけではないことは確かだと考えます。


調べてみると細かいルールが多く設定されており豪快なスポーツに見えて実は繊細なルールの中でプレーが行われているのだなと思いました。



さて、ラグビーと同じように社会にもルールというものが非常に多く定められており私たちはその中で生活をしています。



朝会社に行くときは交通ルールを守らなければなりませんし、会社に遅れると服務規程違反で人事査定に影響があるかもしれませんし、働いて稼いだ給料の一定額を税金として納めなければなりません。



思い浮かんだルールを例として挙げましたがこれらのルールに多くの人が従っているからこそ社会生活は円滑に運営されています。




ルールに従うと書きましたが根本的に考えて「ルールに従う」とは一体どのようなことなのでしょうか。



私を含めて多くの人は「ルール通りに行動することが従うということ」だと考えます。

例えば会社の始業時間が定められているからこそ私たちは朝何時に起きるか(行動)が決まってくる、というような感じです。


このようにルールがまずあって、人々はそのルールに則り自分の行動を決めるという事です。


つまりルールから行動へ矢印が伸びているというイメージですね。




実はこの考え方、イメージは適切なものではありません。




例えば、「シートベルト着用の法制化」は実際に法制化されるまでかなりの時間がかかったそうです。

それはシートベルト着用が十分に普及しないままそれを法制化してしまうと違反者が続出するだろうと警察が恐れたからだそう。



違反者が続出すれば取り締まりが困難になりますし、加えて法の権威が失墜してしまいますね。




このことからわかるように、法が法でありうるためには人々に従われる必要があるということです。



ルールは初めからルールなのではなく、それを守る多くの人々がいてこそルールとなるということみたいです。



なるほどルールは「ルール→行動」という直線的なイメージではなく、「ルール⇄行動」という循環のほうが正しいんですかね。





何やら難しい話になってしまいましたが
「法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです」と何時ぞやに何かのアニメで言っていたことの意味が少しは分かった気がします。