それはさすがに不自由の一種

休日には何をすればいいのでしょうか。人との予定が全く入っていない時には、休日はまさに自由そのもの。一日中寝て過ごすのもいいですがせっかくの休日なのですから何か生産性のあることを行い、充実したものにしたいと考えてしまいます。


その自由な休日の中で、それでは一体何をするのが最善なのかと聞かれるとなかなかその回答は難しく、結局本を読んだり、近くの飲食店で食事をしたりといったいつも通りの休日になってしまいます。


自由すぎるというのも考えものですね。



さて、この自由にまつわる話ですが、この自由というのは次のような条件が満たされていなければなりません。

「選択肢が複数個あるということ」と「選ぶ主体がいる」ということの二つです。



休日にはドライブもできますし、スポーツ、デート、ショッピングなど多くの選択肢がありますこれが一つ目の「複数の選択肢」

そしてその選択肢の中から何を選ぼうかと頭を悩ませるのが「主体」にあたります。



先ほどの休日の例からも分かるように、この自由というのは自由であると同時に不自由なことでもあります。(自由であるが故に何をしていいのかわからない)


別の例で挙げると私達は日本語を自由に話すことができますが、裏を返せば日本語しか話すことができません。これは不自由です。

スポーツや音楽で自由に表現するためには型を身につける必要がありますが、型を身につけるということは型にはめられることでもあります。これも不自由なことですね。



逆に規則によって縛られている学校は一見不自由ではありますが、生徒の将来の自由の為には必要な過程です。



自由であることは同時に不自由なことでもあり、不自由だと思えることが自由に繋がったりします。




奥様からの月々のお小遣いの中で過ごす先輩方、それは決して不自由ではなく、裏を返せばこれも一つの自由であると言えるのかもしれません。




自由ってなんでしょう…